PROJECT STORY

PROJECT STORY

関西圏を飛び出し、札幌に進出。
ゼロからのスタートだからこそ
思い込みや常識を超える挑戦で
「札幌でも、京阪」へ。

Shibata Jyunichi

札幌事業部・事業推進部(商品企画)
マネージャー 2008年入社

Prologue

京阪電鉄の沿線エリアを基軸に、地域密着でマンション開発のデベロッパー事業を展開し、信頼のブランドを確立してきた京阪電鉄不動産が、初めて地方都市への進出を決めたのが札幌です。政令指定都市として約195万人の人口がいて、マンション暮らしの需要が高く、新規参入のチャンスがあること。地価がマンションに適した価格帯であること…。札幌のマンション市場の魅力と可能性が楽しみな展望となる一方で、人口減少の時代が続くなか、地盤である京阪沿線や関西圏だけでは永続できない、という危機感もありました。そんな期待と責任を託されて2014年11月3日、札幌営業所を開設する挑戦が始動します。6年たった今、札幌事業部となり事業規模を拡大してきた歩みは、まさに「京阪ブランドのこれから」を賭ける、これまでにない挑戦プロジェクトでした。

Story 01

誕生間もない会社の勢いと、プロ集団のポテンシャル。
伸びていく会社で「自分の想いをカタチ」にする手応えを実感。

デベロッパーなら、自分の想いをカタチにしやすいし、面白そうだな――。設計事務所でデベロッパーの意向通りにマンションの設計を行っていましたが、もっと自分が思い描く姿に近づけたいと思い、京阪電鉄不動産に入社しました。リーマンショック直後で、デベロッパー各社が動きを止めるなか、当社だけが積極的に新規開発に乗り出していました。いわゆる「逆張り」の挑戦ができたのは、それができるポテンシャルがあったからです。誕生間もない若い会社で勢いがありましたし、中途入社が多く不動産業界等でキャリアを積んだプロフェッショナル集団でしたから。一気に事業規模が拡大し始めて、これからもっと伸びる会社だぞ、と思えました。

堅実なイメージが強い鉄道会社グループらしくない、勢い挑戦心。その社風は私に合っていましたし、事業担当として6年間、大阪でマンション開発を手がけました。購入した土地に、その立地ならどんなマンションがいいか、ターゲットとなるお客様は誰で、どういうデザインや間取りが心に響くのか。当社は、立ち上げから完売まで一貫して携わるので、とにかく、自分にできることは何でもやってみようと思い、やり遂げました。その中で改めて実感したのが、実際のマンション暮らしのシーンを意識した商品づくりの大切さです。お客様の目線や感覚に想いを馳せて一つずつカタチにしていくのは、簡単ではないですがとても面白いし、楽しい仕事です。「自分の想いをカタチに」するだけでなく、「お客様の暮らし」という現実も加えて、新しいカタチを創り出すやりがいと手応えも、感じることができましたね。

Story 02

知名度のない札幌へ進出。
関西で培った魂と「京阪ブランド」を賭けた挑戦。

吹きつける風に、雪が降らずに空へと舞い上がる――。その光景は、いまも鮮明に覚えています。飛行機で新千歳空港に到着し北の大地で見上げた冬景色は、関西にはない「雪の文化」でしたね。

 札幌に営業拠点を開設することが決まり、まずは営業所の立ち上げから始めました。市場開拓の先がけとして出張ベースでマンション開発を進めていましたが、そこで当社が考えたのが「京阪らしさ」です。分譲マンション事業は「売って終わり」が基本ですが、公共交通を担う京阪グループは「お客様ファースト」がアイデンティティー。「売った後も、責任を持つ」ためには、地元に根づいてやるしか選択肢はありません。

 当然ですが、知名度もないスタートです。札幌にはJRと市電、地下鉄しかないので「私鉄って?」「京阪って、どんな会社?」と…。転機になったのは、第1号マンション「ファインシティ札幌 ザ・タワー大通公園」です。札幌市のメインストリート・大通公園に近い一等地で、マンションが少ない都心部の商業エリア。そして、地上31階・総戸数116戸で高さ98.6メートルの高層型。明確な差別化を図り、デザインにもこだわって、コンセプトは「THE 京都」に決めました。外観は黒を基調とした京都らしさを演出し、京都迎賓館をイメージしたエントランスを設え、西陣織、木組の格子、犬矢来、枯山水を思わせた庭など、京都らしい趣きのある空間としました。

さらに「京阪の名を掲げる以上、札幌初の事業で失敗はできない」と、会社からも全面支援をもらい、「マンションの販売」ではなく「京阪ブランドを賭ける」広告戦略を展開しました。かなりのプレッシャーですし責任の大きさを痛感しましたが、方針はトップダウンでも、どうするかを任せてもらえたのは嬉しかったですね。やってやろうという想いを強く持って、敢えて思い切った挑戦をしました。「京阪らしさって、何だ?」とじっくり考え、関西ではおなじみの舞妓さんをテレビCMに起用し、ナレーションもすべて関西弁にしました。「京都のこころ住まい、札幌へ」というメッセージですが、大きな反響がありました。さらに、2階建てロンドンバスをチャーターし、舞妓さんのラッピングで札幌市内をグルグルと巡回。徹底したブランディング戦略のおかげで順調に完売し、京阪ブランドの認知度が高まる手応えも感じました。

契約後、ロンドンバスに乗車するお客様の笑顔と舞妓さんが、札幌の街を駆け巡る姿に、心の底から、どっと喜びが湧き上がってきましたよ。

Story 03

分譲マンションだけ、札幌だけ、では終わらない。
パートナー企業や地元社員と一緒に、地元に根づく札幌事業部へ。

京阪はどうせ、すぐ撤退するだろう――。地元の不動産業界では、そう思われていたみたいです。大手デベロッパーが相次いで、進出しては撤退、を繰り返していましたから。「どうせやるなら、京阪の幟をしっかり立ててやる!」という決意 をもって手掛けた「ファインシティ 札幌 ザ・タワー大通公園」は、京阪ブランドのフラッグシップになりました。さらなる躍進のため、そろそろ次の花火を打ち上げたいと思っています。「こんな立地に?」「そんな大規模な高層タワーを?」。そんな、札幌マンション市場の常識の枠からはみ出すことへの挑戦です。
分譲マンションだけ、で終わるつもりもありません。札幌事業部は、マンション事業部の出先機関としてスタートしましたが、ホテル・オフィス物件の開発も進めていました。地元に求められ、喜ばれて、しっかり利益も出せてタイミングが合うなら、何でもやってやろうと。デベロッパーとしての開発スタイルはマンションと同じですが、違いはそこで働く方のニーズを聞きながら、一緒に望むカタチをつくり出す楽しさも味わえることです。ホテルとオフィス、どちらも複数物件の実績を築いていますし、2018年夏に営業所から札幌事業部となって、さらに力を入れ始めています。エリアも、チャンスがあれば札幌だけでなく、ニセコや函館、帯広など北海道全域へ、さらに南下して、本州での事業も可能性としてゼロじゃないと思っています。札幌と言えば北海道。そんな思い込みや、自分でつくりがちな常識という名の枠組みを飛び越えていきたいですし、それを認めてくれる会社ですから。

もう一つ、大事なのが持続的なサポートです。設計事務所やゼネコンなど地元企業とのパートナーシップの立ち位置を大切にしないと、本当の意味で根づいたことにはなりません。あの雪が舞う日から6年が過ぎて、いまも「北海道ならではの地元のつながり」を超える難しさを感じる時があります。でもそれを認めたうえで、地元と一緒に何ができるかに汗を流し続ける私や札幌事業部のみんなの姿を見て、地元の方々も今は「京阪はもう、撤退しないみたいだぞ」と認めてくれています。地方都市の最初の事業拠点として、京阪がこれから日本全国へと飛び出していくために、ロールモデルとまではいかなくても、一つのベンチマークになれたら嬉しいですね。

Epilogue

オリンピックの招致に、札幌新幹線の全面開通――。札幌の将来には明るい材料が多いですし、1972年の冬季五輪とともに建設された建築が老朽化し、建て替え需要も増えているので、これからが楽しみです。地元採用のメンバーも増えましたが、その雇用と人生を守ることも、私の新しい、そして大事なミッションです。事業所のみんなが一丸となって「札幌でも、京阪」をしっかり盛り上げていきますよ、これからも。